1952-07-30 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第19号
省令第四十一号というのを終戰当時の十一月でございましたか、出しまして、とめておつたのでありますが、これも昨年の十二月をもつて廃止になりまして、現在のところ内地の円預金になつておるものにつきましては、すべて内地預金と同様に、金融機関の再建整備によりまして切られた限度までは拂いもどしをいたしております。
省令第四十一号というのを終戰当時の十一月でございましたか、出しまして、とめておつたのでありますが、これも昨年の十二月をもつて廃止になりまして、現在のところ内地の円預金になつておるものにつきましては、すべて内地預金と同様に、金融機関の再建整備によりまして切られた限度までは拂いもどしをいたしております。
この苦境を打開するがために、一種の募金の運動を起してみたり、或いはその他いろいろな事業を試みたりいたしまして、漸く今日まで凌いで来たわけでございますが、今日におきましては、幸いに国民の皆様の御支援を頂きまして、年々五月に行います募金運動が相当の成果を挙げまして、終戰当時の苦境から考えまするならば、非常に前途に明るい希望を持ち得るに至つたわけであります。
次に、これまたいろいろ入り込みますが、残つた原因の中に、終戰当時自殺をするくらい精神的に打撃を受けた者もあつたのですから、そのとき幾人かの者の中には、おれは町から、村からえらい出征の送りを受けている。この際、負けましたといつて何で故国に帰れるかという気持で残つた者もおるではないかと思います。
それ以外の数字は、大体われわれが耳にしたことがあるのは終戰当時の数字であります。これは日本軍の間にいろいろ言われていた数字でありまして、非常に不確実だろうと思います。というのは、当時の状況が非常に複雑であつて、日本軍側から連合国へ言われた数字も、ちよつと山がかかつておる、そういう事情がありまして、全然当てにならぬと思います。
一方国内の消費の面におきましては、戰前の保有台数は約一千万台でありますが、戦災その他によりまして、終戰当時約五百万台に低下し、現在は大体九百万台まで回復しております。
○石原(幹)政府委員 これは行方不明者というわけでもなく、今回帰つて来たような人は大体わかつておつたのでありますが、これは、南方帰還が零ということになつておりますのは、帰るべき形になつておる人は全部帰つたということで、終戰当時の引揚げるべき人の中で、そのときは行方不明者と申しますか、判明しなかつた人でありして、終戰のときに帰るべき形になつておつた人々は一応全部帰つたが、その後潜在しておつた者がわかつて
金を持つて来いということは、要するにわれわれは終戰当時存在したものを接收せられるということは、これは何とも言えなかつたのでありますが、終戰後におきまして、新しく産せられるところの金とか銀とか白金とかいうものは、これは接收すべきところの性質のものではないということを言つておりまして、その点は向うも認めたわけであります。従いまて、われわれが金を買い上げておるということはわかつております。
例えばたまたま終戰当時に少尉になつたばかりである、その後いろいろ長い期間他の職場においてその人が民主的な部隊の運営管理において適任であるということを立証するような十分な証拠がある、こういう者を採らないということはこれは無論私の申上げた筋ではございません。
概括的に、私ども調査に当りましてなお資料等を見ましての印象におきましては、先ほどもちよつと大臣が話しておられましたが、街頭労働をいたしたり或いは浮浪いたしたりするような子供は終戰当時から比べますると非常に数は少くなつたわけであります。併し当時の多くの子供はよく御承知のように、浮浪をしておる者が非常に多かつたのでございます。その身なり等も非常に極端に悪いような状態でございました。
○池田国務大臣 敗戰当時から一、二年間の事情はよく存じませんが、先般アメリカより七百万ドル、六トン程度の外貨を渡すからというので、事情を調べてみましたところ、アメリカ軍の接收したものを日本へ返す、こういうことであります、従いましていろいろな事情を調べてみておるのでありますが、とにかくアメリカが終戰当時並びにその後そう長い期間じやないと思うのでありますが、接收した事跡がありますので、一応これを被接收者
○横山説明員 ただいま御質問になりました第一のことについて、先般参議院の大蔵委員会で要求のありました数字と、今回の資料との相違点でありまするが、この前に参議院の方にお出しいたしましたのは、終戰当時の残高という要求がありましたので、その文字通り残高を帳簿からはじき出したのであります。
今お話がありましたけれども、終戰当時から今日までに相当年数も経つておるのでありまするし、結局これは経費の問題にのみ捉われて実積の挙がらないところのことを考えておつても問題にならんのじやないかと私は思うのであります。
この数を入れれば相当の数になるものということだけは想像されますが、何と申しましても、終戰当時におきまするところの軍人の中からの大まかな想像はできますけれども、併しこれは私はその当時の陸海軍の編成要員なんかから申しましても、本当にここでもつてぱつと公に申上げるまでのまだ自信を得るに至つておりません。
そこで決定された以上は、ポツダム宣言を受諾した日本としては、いさぎよくこれを受諾するというのが——これはつまり終戰当時にポツダム宣言をあのまま受諾しなければ、さらに非常な災禍が起つたでありましようものを、受諾したがために終戰になつて今日に至つたのであります。
○岡崎国務大臣 これは問題は、朝鮮事変のためのみならず、終戰当時のいろいろの混乱もあつたと思います。ですから財産はいろいろの時期に、いろいろの段階に、いろいろの種類の原因で損傷せられたものもあると思うのであります。
近ごろは終戰当時から見れば、よほど暮しも楽になり、秩序も回復したことは疑うべからざる事実なので、にわかに警察当局がそれだけの活動力を持つことを望むのは、好意的に解釈すれば無理な点があるのではないか。しかしながらこれで十分だとはもちろん私は考えません。ずいぶんだらしがなくて、こんなことでいいんだろうかと絶えず思つておる一人なのです。
それのみか「かいらい」満州国政府の閣僚、而も終戰当時の経済大臣たる韓雲楷も同様な方法によつて東京に安住させており、最近は中華人民共和国の反動分子数十名を迎え入れて保護を加えており、幾万のアメリカ人に至つては、日本人以上に自由に出入国し、自由に闊歩している。然らば何のために政府はかかる法案を出したか。
また戰争の犠牲を受けましたところの戰災者及び引揚者、遺家族等が国有財産を住宅及び耕作地等に使用している場合において、これに対しまして終戰当時にさかのぼつて使用料を徴收し、拂下げに際しましても、時価評価によつての拂下げが行われているのであります。 このように、外国軍隊に対しましては優遇を與え、日本国民に対しては、かくのごとく冷遇をしているのであります。
それはどうしてかと申しますると、あの終戰当時の非常に社会の秩序を失つて、取締りの方面の秩序も失つて、また連合軍も来て間もないころの日本における左翼思想の活発な活動は御承知の通りであります。しかもその当時には農村といわず都市といわず、敗戰によつて建物は都市において破壊され、物は非常に不自由である、こういうときにこそ暴力をやつて一応革命が成功するので、やればこういうときである。
終戰当時におきしましては、ほとんど占領軍関係のあらゆる調達をやつておりまして、電気、ガス、水道、そういつたような経常費から、兵舎、住宅工事、ほとんどすべて特調の手を通ぜざるはなしというふうなものであつたわけであります。
しかも、この朝鮮人や中国人に対して、一体終戰当時、日本の政府や資本家のとつた処置はどうですか。諸君の中にも心当りがある人があるでしよう。どんなことをしたか。いろいろの積立金のごときは、ほとんど支拂われず、帰国の旅費すら、くれたりくれなかつたり、ほつぽり出されおる。母国に帰りたくても帰ることすらできないようにさせたのは、一体だれなんですか。日本の政府以外の何ものでもないじやないですか。
しかもわれわれはこのように戰争中にさんさん搾取に搾取を重ね、虐待に虐待を重ねて来たこの諸君、この諸君に対して終戰当時に日本の政府や資本家は一体どういう処置をとつたのだ。工場や炭鉱で資本家の諸君はこの諸君が積み立てた積立金すらほとんどくれない。帰国の旅費すら拂つてくれない。
これは戰時統制によつて国民から強制的に買い上げたものが、おそらく保管されておつたと思うのですが、終戰当時それも総司令部の命令によつて明確に調査され、報告が出されていると思うのです。外国でもその当時日本のそうした保管の額が何万ドルかがあるということが、たしか何かに載つておつたと思うのでありますが、そういうものは現在どういうぐあいになつておるのか。その点をお伺いしたいと思います。